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境内案内


 永源寺は瑞石山(飯高山)と愛知川(音無川)の山中、静かに佇んでいます。
 開山寂室禅師の詩にも「屋後の青山、檻前(かんぜん)の流水」と詠われ、深い自然にいだかれた幽境です。
 境内はカエデをはじめとする様々な自然の木々に覆われ、静寂の向こうよりかすかに聞こえる野鳥のさえずりや愛知川の渓声、春夏春秋うつろう風光と、開山さまの愛でられた山の空気を今に伝えます。
 ご本尊「世継観音」をおまつりする方丈の大屋根は、琵琶湖のヨシで葺かれています。草葺き屋根として全国でも屈指の規模です。
 当山の特徴として、周囲を隔てる大きな土塀を構えないことが挙げられます。これは権威を嫌い、終生大寺への住山を固辞し続けたという、開山禅師の遺志によっています。
 創建当時の建造物は全て兵火に焼かれ、現存するものはありません。現在の伽藍は江戸中期以降に再興されました。また、庫裏は老朽化のため、昭和54年鉄筋コンクリート造に改築されました。

 永源寺は古くから紅葉の名所として名を馳せてきました。
 春暖の陽光の下、楓樹は一斉に芽吹きを見せ、五月には目も醒めるような鮮やかな新緑に、境内は包まれます。
 夏、梅雨が開けヒメハルゼミが鳴きはじめると、あたりは濃緑の茂りを透して涼やかな光がふりそそぎます。このセミは当地では「寂室蝉」とも呼ばれています。
 秋が深まると、彩りもあでやかな紅葉が覆い、美しいカエデのトンネルをくぐり歩きます。やがて冬到来し、落葉の絨毯が敷かれたあとには、枝ぶり見事な樹木の姿が残り、雪花の白一色につつまれるのです。

 六百年の昔、初めてこの地を訪れた、七十二歳老境の寂室禅師は、ここにかつて修行をされた天目山の幽景を重ね、笏をとどめて、ご自身の終の地となされました。
 禅師の想いは沢山の漢詩の中に窺うことができます。

風攪飛泉送冷声   風、飛泉(滝)を攪(か)いて冷声を送る
前峰月上竹窓明   前峰、月上(のぼ)りて竹窓明らかなり
老来殊覚山中好   老来殊に覚ゆ山中の好(よ)きことを
死在巌根骨也清   死して巌根に在らば骨也(ま)た清し


境内案内

山門(さんもん) ※重要文化財 山門(さんもん) ※重要文化財

寛政七年(1795年)井伊家の援助等により7年の歳月を費やし享和二年(1802年)完工した。
楼上に釈迦牟尼佛・文殊菩薩・普賢菩薩並びに十六羅漢を奉安している。

方丈(ほうじょう):本堂 方丈(ほうじょう):本堂

康安元年(1361年)佐々木氏頼が創建。
しかし度重なる兵火、火災により消失の難にあった。
現在の建物は明和二年(1765年)、井伊家の援助により建立されたもので、屋根は国内屈指の葦葺きである。
正面には本尊、世継(よつぎ)観世音菩薩が奉安されている。

鐘楼(しょうろう)
鐘桜(しょうろう)

過去4度の兵火や火災があり、現在の鐘楼は安永元年(1772年)に再建された。大鐘は太平洋戦争時供出したが、昭和二十三年再鋳された。

法堂(はっとう) 法堂(はっとう)

大雄宝殿と称し佐々木氏頼により創建される。
過去三度の兵火や火災により失われたが享保十三年(1728年)再建された。釈迦牟尼佛・迦葉尊者・阿難尊者が奉安されており、この三尊は後水尾天皇より寄進されたものである。

開山堂(かいさんどう) 開山堂(かいさんどう)

開山 寂室禅師(正燈国師)を祀る堂宇。
享保十年(1725年)、彦根城主 井伊直惟(なおのぶ)より能舞台の寄進を受け再建された。

経堂(きょうどう) 経堂(きょうどう)

応永十一年(1404年)佐々木満高が創建。
現在の経堂は延宝四年(1676年)南嶺禅師が再建され、中国へ渡られ譲り受けられた明版大蔵経が納められている。




永源寺の四季

  • 春
  • 春
  • 夏
  • 夏
  • 秋
  •  
    秋
  • 秋
  • 冬
  • 冬